鎌長のあゆみ
黎明期1880年の創業から終戦まで
はかりは重さを計るものであり、重さの基準となる分銅なしにははかりは作れない。鎌長の歴史は分銅から始まった。
1880年(明治13年)に創業者の鎌田長八郎(初代)が香川県で鋳物作りを始める。その初期から分銅作りを始め、大正、昭和初期と発展を続け、昭和に入り戦時体制が強まると、日本秤錘株式会社として日本中の分銅作りを独占するまでになった。その理由は、中を空洞にして分銅を鋳造し、後から鉛を空洞に入れることで素早く調整を行う方法を開発したことと、安い屑鉄から高品質な分銅を作り出す技術を開発したことで、安くて品質のよい製品を作り出したことにある。「技術の鎌長」というスピリットはその最初期から強烈であった。
東久邇宮稔彦王殿下の行啓
鋳物工場
確立期戦後から昭和40年代まで
革新的な製品とたゆまぬ営業努力が、鎌長を日本有数のはかりメーカに押し上げた。
1945年の高松空襲により工場の大半は消失したが、社員の努力と日本の復興に不可欠な分銅の高いニーズに支えられ、再建を遂げた。さらなる発展のため、鎌長製衡の前身である鎌長産業株式会社を設立しはかりの製造を始めた。分銅メーカとして培った技術による精確で安定したはかり製造技術と、はかりをかついで日本中を売り歩く営業マンの努力により鎌長ははかりメーカとしての地位を確立した。特に、トラックスケールにおいて計量精度の高い革新的な表示機構を発明することで、飛躍的な発展を遂げた。また、東京、大阪、名古屋、九州などの支店を次々と開設し拡大していった。さらに、技術力を生かして計量の困難な粉体を自動的に計量するホッパースケールや自動的に袋づめを行うパッカースケールを開発し、日本の工業の機械化を支えた。常に顧客のニーズを調査し、技術力で顧客の困難を解決する鎌長のスタイルがここに確立した。
トラックスケールの桿元印字装置
トラックスケール組立風景
革新期昭和50年代から現在まで
はかりの技術をベースに、「鎌長ならでは」の製品造りの追求を続ける。
マイコンを用いて使い易く高性能なトラックスケールの重量表示器を開発したことで、鎌長はトラックスケールメーカとしての地位を揺ぎないものにした。そして、世界一と言われる速度と精度を達成した自動包装機や、工場ラインを変えたと言われる連続自動供給装置の開発により、計量機器をリードする会社となった。一方、はかり以外の製品に多角化し、昭和40年代から早くも環境・リサイクル機器の開発に取り組み、リサイクル機器の拡大に伴い発展を遂げた。さらに、日本秤錘がバーベルなどのスポーツ機器を製造していたことから、ボーリング場やゴルフ場などのアミューズメントに展開した。しかし、急激な拡大とバブル経済の崩壊により、平成に入ってからは本業に回帰し、「安心・安全」をテーマに高い技術力で顧客の満足を追求した製品造りを続けている。
ダッキー10 真空脱気装置
沿革
1880年 明治13年 |
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1920年 大正9年 |
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1936年 昭和11年 |
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1947年 昭和22年 |
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1955年 昭和30年 |
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1957年 昭和32年 |
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1960年 昭和35年 |
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1961年 昭和36年 |
東京事務所を東京支店に昇格、名古屋事務所開設 |
1962年 昭和37年 |
大阪支店開設 |
1964年 昭和39年 |
本社を現在地に移転、九州支店開設 |
1965年 昭和40年 |
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1967年 昭和42年 |
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1972年 昭和47年 |
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1974年 昭和49年 |
建設業認可される |
1977年 昭和52年 |
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1980年 昭和55年 |
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1983年 昭和58年 |
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1987年 昭和62年 |
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1988年 昭和63年 |
名古屋事務所を支店に昇格 |
1991年 平成3年 |
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1995年 平成7年 |
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1997年 平成9年 |
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2002年 平成14年 |
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2003年 平成15年 |
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2004年 平成16年 |
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2005年 平成17年 |
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2006年 平成18年 |
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2007年 平成19年 |
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2008年 平成20年 |
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2011年 平成23年 |
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2013年 平成25年 |
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2014年 平成26年 |
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2015年 平成27年 |
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2016年 平成28年 |
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2017年 平成29年 |
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2018年 平成30年 |
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